植木屋日記

2026/09/13

悲しいことばかり思い出す

2026/09/14 晴れ

暗い気分で過ごす。嫌なことばかり考える。

今日はうちの会社で手入れに入っている中で一番好きなお寺へ。刈払い機で伸びた草を除草。広い境内を一周してひたすら掃除。彼岸花が生えてきているので、折らないように気をつける。

このお寺は敷地内に流れがあって、仕事をしていると水の音が聞こえる。蓮の花もたくさん植わっている。背の高い蓮の葉は風に揺られるとザッザッと音がして、波の音のように聞こえる。

波も葉音も元は風だから似ている。川の音は水と重力の音。私は波の音が好き。海沿いに住んでいた子供の頃、夜に窓を空けて横になっていると波の音が、海鳴りが、聞こえてくる。灯台の光が天井を横切って、それを見ていると眠ってしまう。そういえば今日は空が高く感じて秋だと思った。私の頭上のドーム。夏の終わりだから元気が出ないのだろうか。寂しさ?私は夏なんて嫌い。

業務の一環で萩の株を縛った。親方と二人がかりで。

2026/09/15

今日も悲しいことを考えていた。そろそろ飽きる頃合いだといい。

昨日と同じお寺で手入れをする。敷地内にある小さな川の周りを除草。「シダとか、あったほうがいいなと思うものは残しておいてもいいよ」との指示で、こういうのは助かる。雑草でもきれいだと思うものは結構あって、あと雑草という名前の草は存在しないので、きれいだと思う、その基準が一番明確に感じる。審美が仕事に含まれること、私にとっては新鮮で嬉しい。スライドも文書も表やグラフも、そこで示される美しさは整然としていること。昨対比が良くなっているということ。川石の美は、私や、だれかが、きれいだなと思うこと。なので雑草を取りすぎないで少し間引くというようなことをしようとしたが、難しく、石の上になんとか張り付いている根っこや土たちの団結力はすごい。少しだけと手を付けると苔もシダも何かの根っこも土も全部がズルズルと剥がれてしまい、侘び寂びで言うところの寂びみたいなものを根こそぎとってしまった。

川べりの掃除の後は藪や生け垣に絡みついているツタを取って回る。ヤブカラシというツタがあり、これがあると本当に藪が枯れてしまうので結構一生懸命取る必要がある。ヤブカラシには黄色いつぶつぶとした花が咲き、その蜜は虫たち、なかでもスズメバチやアシナガバチなど獰猛系のメンバーに好まれている。ヤブカラシを取るためにスズメバチが蜜を吸っているのを待つ時間というのがある。

作業をしながら彼氏と別れたほうがいいのかなーと考える。まあ一緒に生活してると色々とあるわけだ。人と暮らすのはすごく大変で、でも人と暮らしていくのって割と普通のこととして世の中で扱われており、私はそれに苦しんでいるのかもしれない。結婚とか家族を作ることって人と暮らすこととセットで、それは普通のことで、そのあたりまえさにどうしようもなく憧れてしまう。自分を普通より下の存在だと思いつづけてきたから、奇をてらうわけではなく、普通になりたいと強く願う。

2026/09/16

あまり悲しくなくなってきた。明るい雨。

今日も同じ寺。誰も来ない荒れ放題の裏庭に入っていってツタをとり、あじさいの花がらを取って少し剪定。あじさいは枯れ枝をあまり元の方から抜きすぎてはいけないらしい。枯れ枝が支柱代わりになって、株が横に広がったり枝が倒れたりするのを防いでくれるとのこと。枯れ枝ってムカつくから全部抜いてたわ。ヘヘッ。

今日もスズメバチがたくさん飛んでいる。今年は毛虫も多いし蜂も多い。私はまだ蜂に刺されたことがない。スズメバチとは何度か目があっているんだけど、見逃してもらってる。ありがとう……。スズメバチは目の前にするとかなりデカくて驚く。単三電池で動いてるんだと思う。この仕事を始めて虫に会うことが増えたけど、虫に会って私がびっくりするとき、向こうもまた私以上にびっくりしているっぽい。

お盆が終わったあたりから徐々に気分が落ち込んでいって、最近はずっと塞ぎ込んでいた。根気強く長めの睡眠を取って、温かいご飯を食べて、人と会って話すのを繰り返していたら少しずつ回復してきていて、その近道のなさに気が遠くなる。風邪を引かないように気をつけるとかは結構完ぺきにできるんだけど、気分の波を管理するなんていうのは不可能で、これは内面と言うより私の触れることが出来ない大きな潮の流れみたいなものが存在してて、もうそれに巻き込まれるのを避けることは出来ない気がする。なるべく凪いだ海に浮かびたいと祈るしかない。最近のテーマは祈りかも。もう、精一杯頑張ってるので、後は祈るしかない、みたいな。

死んだ人は動かない

パパは子どもたちを殴ったことがなくて、私はそのことにすらイラついてた。私と戦え、傷つけてみろよ。 真っ赤なルビーでできた私の心臓を砕いてみろ。

パパは2年前の夏に死んだ。死の数年前、ママの口から「パパががんになった」と聞いたときの私の反応といったら、それはそれは淡白なものだった。娘としてもっとショックを受けたそぶりを見せなくてはと思いつつ、できなかった。父親に対する熱く粘った感情はとっくの昔に冷めて固くなり、もうあまり動けない。溶岩は簡単にマグマへと戻れない。

パパに対してなぜ嫌な気分を抱き続けているのか、説明するのは難しい。直接的に暴力を受けたわけではない。パパはただ、酒を飲んで暴れた。色々なものを壊した。暴言を吐いた。機嫌で家族を支配しようとした。しらふでは気が小さく、子どもたちに小言があるときには必ずママの口から言わせた。物陰に隠れて矢を受けようとしなかった。私はその様子におぞましい卑怯さを感じていた。

父は兄と折り合いが悪く、兄は勇敢にも父親と話し合いをしようとしたが、父親は論点をずらしにずらして見当外れなことを言い続けていた。そして変わらず母や兄に辛く当たった。私の大切なママに、お兄ちゃんに、なんてことをするの!許せなかった。私は想像の中で何度もキッチンから包丁を持ち出して父親のことを滅多刺しにした。兄と向きあって話しあうことすらまともにできない父親。そのさまを見た小さな私が夢中になった空想は暴力だった。きっと暴力はなんにも解決しないんだろう。それでも私は大切な人が傷つけられたら、傷つけたやつを殴りたいと思うし、汚い言葉も吐くだろう。早く私の目の前からいなくなってくれ、あんたのことが嫌いなんだ。ママに直接「パパと離婚してくれ」と言ったこともあるが、ママはパパを愛していた。仕方のないことだ。

実家を出てからは、めったに帰ったりしなかった。パパがいるから。その存在に近づきたくなかった。父親ってだけでそんなに偉いのかよと思っていたが、事実パパは父親というだけで家の中では偉いのだった。家父長制の椅子にタダ乗りして担がれていた。自分を惨めに思いたくないので偉そうにしていたのではないかとも思う。色んなことに背を向け、追いつかれないギリギリの速度で逃げ続けていた男は、病という生き物である限り逃れられない獣に捕まった。私が唯一というほど父のことを立派だと思うのはこの点で、あらゆることから逃げて、嫌な奴のまま、少なくとも何人かには愛されて死んでいったことだ。よかったね、パパ。

私はパパがどんな玉座に座っているのかなんて興味がなかった。パパが何を考えて、私のことを愛しているのか、どんなことを憎んでいるのか、それをまっすぐ聞きたかった。「俺が直接言うとショックを受けるだろうから……」とニヤニヤしながら母親に何かを言わせる腰抜け野郎が自分の父親なのが許せなかった。今すぐ立って土俵に上がれ。その王様気分を私が粉々にしてやるよ。けしかけようとしてもママが止めた。「それじゃあパパに歯向かってるみたいじゃない」と、まるで私に反抗心がないかのようになだめた。ママの火消しは丁寧で、家中で生まれていたはずの小さな火種をひとつひとつ処理していった。表面上は穏やかな家庭だったと思う。私はたとえ永久に埋まらない、崖のような溝ができたとしても、パパと戦いたかったのに!女王はそれを許さなかった。子どもたちのことも、パパのことも、愛していたから。これもまた仕方のないことだ。

パパが死んだとき、私はどう思ったか。あまりにも薄情だが、私はパパががんになったと聞いたときから、死んだものとして扱っていたように思う。ママからの電話はある種の確認作業だった。ママの愛するパパの死に動じられないことを申し訳なく思う。実家に戻ってこと切れたパパを見た。私にそっくりな顔をしていた。父親なのだ。

人が死んでしまうと、その人との関係性は変わらなくなる。死者は固定される。それ以上仲良くも悪くもなれない。その事実は私にとって安らぎだった。パパが死んで、私は初めて実家で安心できるようになった。固定されたパパの命日に、私たち家族は集まって食事をするようになった。長男と次女にはそれぞれ家族がおり、ごく自然に親と子が、孫と祖母が、おばと甥、姪とが、全員が話していて、それは私にとって涙が出るぐらいまぶしい光景だ。誰かの顔色を伺わなくてもいいということ。女王は命日になると少し気分が沈むようだが、それでも満足気だ。先月が命日だったので実家へ帰ったら、みんなが、特に女たちが好き勝手に過ごしていた。食事は買ってきたできあいのものがメインで、それとは別にママがとうもろこしを茹でてくれた。仏間での食事が済むと、長女はプロレスの配信が見たいからと涼しいリビングへと引き上げていった。次女と義理の姉は料理の名人であるママが作ったおかずのおこぼれをもらおうと、プロレス配信を横目に冷蔵庫を物色している。甥と姪は仏間で父親たちと遊んでいて、謎の遊びや支離滅裂な会話を楽しんでいる。私はぼんやりと冷たいお茶を飲んで、ママと庭のびわの木をいつ剪定するか話していた。独裁者の命日。

大変だなんて

最近は蚊についてよく考えている。なんでってまあよく出るから。仕事を始める前にまずは蚊取り線香に火をつける。植木屋に限らず工具を使う仕事の人たちはパンツのウエスト部分とは別にベルトを巻いていて、そこにいろんな道具をぶら下げる。いわゆる腰道具いうやつで、私はハサミを3,4種類とノコギリ、小熊手、小箒とそこに蚊取り線香を下げている。金鳥の蚊取り線香が手に入りやすいものの中では一番良い。アースより金鳥。森林香という強力な屋外用のものもあるけど、それは煙がすごくて腰から下げていると熱くなるらしい。お灸。

朝には蚊がいない。15時を回り少し日がかげってから一斉に出てきて吸血活動を始める。暑い日中はゆっくり休み、涼しくなったら出てくるわけだ。優雅ないい生活であることよ。しかも血液って動物が絶滅しない限りは吸えるわけだから、いい栄養源に目をつけている。別に多少血を抜かれるぐらいはいいんだけど、痒くさせるのは、なに?過ごしやすいときだけ活動して半永久的に尽きない食料を手に入れてなんか痒くさせる、虫。憧れかもなー。

こういうことを絶え間なく考えながら仕事をしていて、最高だなと思う。植木屋さんで働いていますと言うと大変でしょ?とよく聞かれるけど、なんだかな。大変は大変なんだけど、それはこの仕事の良さを何も損なわないから、はあ、まあ。みたいなぼんやりした相槌を打ってしまう。ていうか前の仕事でも外資系IT企業で内勤営業をしていますというと大変でしょ?とよく聞かれていた。前の仕事だって大変だけど存分にいい面があったので、はあ、まあ。みたいな。仕事で疲弊していることを期待されているように感じる。あとその人が私から受ける印象に対して、その仕事はハードすぎると言われているような気分にもなる。身の丈にあっていないのではという評価に感じて、それも少し嫌なんだろう。なんにもさ、なんにもだよ。

今日はいつも手入れしている寺の墓場で一日中草むしりと枯れ葉の掃除をしていた。枯れ葉をかき分けると親分のようなだんご虫や落ち着いた歩みのムカデ、きれいな芋虫、かなりびっくりした様子のミミズなんかがでてくる。ムカデや芋虫のような脚の多い虫はその波打ちにいつも感心する。木や草を手入れすると、今の時期は必ずと行っていいほど虫に出会う。特に梅のような果樹はすごくて、王国だなと思う。ここにはなんだか国がある。有機的なうごめきの気配。お邪魔をしてすみません。私はすぐに去りますし、またたく間に新しい芽吹きがありますからね。

例えば私は今日墓場で、近くの家から聞こえてくる音楽をきいていた。ツツジの茂みに頭を突っ込んで、下から見上げる藪のうつくしさをみた。カタバミの束をむしりながら、なんだか三つ葉のおひたしが食べたくなった。雑草を抜くときには雑草を抜くときだけの力加減がある。地上に出ている茎を弱く引っ張ると、土がこちらを引っ張り返して、それで根がどちらに張っていっているかがわかる。その真逆にゆっくりと持ち上げていくと、上手に抜けて、それが面白い。誰かによってよく手入れされた墓もさっぱりしていいけれど、苔がこびりついた石の台座だって格好がいい。どう見たって子どもが眠っていそうな墓石を見て少し悲しくなる。土は真夏に触れても少しひんやりしていて、土の下の骨たちは眠りやすいのだろうか。蒸し暑いと寝苦しいから。この間読んだ『ペドロ・パラモ』という小説では墓の下で骨たちがずっとささやきあっていた。私は死後何をささやこうかな。

強い風で本のページが自然とめくられていくようにたくさんの考えごとが私を通り過ぎていく。私はいい映画を見ているときとか、いい演奏を目の前にしているときとかもこうなっていて、すごく豊かな状態だと捉えている。大変なことは本当におまけでしかなくて、私はかなり柔らかい白い羽毛のような気持ちでいるよ。

明日は知らん人ん家に行って庭を手入れする予定。たのしみだなー。

夢みたいな植物

引っ越しつまんね~

2026/05/27

先週後半からずっと会社の引っ越しの準備をしている。マジでつまんね~~~~~~~~~~~。

うちの会社には事務所と別にトラックや道具が置いてある作業場がある。そこが取り壊しになるらしいので、一生懸命整理をして、事務所に引っ越しをしている。我が社は100年以上続いている会社らしく、化石のような埃っぽい道具が広い作業場から無限に発掘される。捨てたり運んだり、もうイヤ!!!!楽しくないので、先週以前で楽しかったことを書きます。

  • 親方は猫を飼っていて、よく深夜に近所でケンカをしているらしい。親方はケンカの声に気づくと起きていって仲裁に入るそうだ。親方が猫と猫の間でバリバリひっかかれているところを想像したけど、違うらしい。
  • みんなでパンダについて話してて、「案外目がこわい」「熊だよね」「爪も鋭い」とか言ってたら好きな先輩が「すごい偏食ですよね」って言ってて、なんかおもしろかった。
  • 寺の手入れに入ってたら同じタイミングでエアコンの取り付け工事をしていたらしく、別の業者の人が来ていた。のんびり世間話をする。「一時期屋根裏にハクビシンが住み着いて大変だった」「そこら中走り回ってさあ……」と言っていて、へ~大変ですねと思ってたら、好きな先輩が「へ~、楽しそう」と言ってて、ハクビシン目線だった。
  • 寺で数日にわたって刈り込みをしてたら毎日同じ時間に同じ犬が来て、毎回かなり興味ありげに、しばらく立ち止まってこちらを見ていた。
  • 親方と一緒に芝刈りをしていたら「やばい、早く終わりすぎてしまう」「もう仕事したくないからちょっと休んでて」と言われ、木陰で休む。暇なので四つ葉のクローバーを探す。4つ見つけた。

  • 寺の集会所?的なところでトイレを借りたら、わかり易すぎる。

  • 墓場の木を手入れをした日、休憩時間に日陰を求めて一人一墓分の日陰に入って涼んだ。

まだ水曜かよ!!つまんね~作業が早く終わるように明日も頑張るぜ。みんなも程々にやっていこうよな。

脚立下手、葉っぱすくい

2026/05/20

最近はずっと同じお寺で作業をしている。先週の金曜日はお寺の表の生け垣の刈り込み、月曜日は駐車場の生け垣の刈込と境内で少しだけ椿を剪定、火曜日は笹を刈り込み、今日は中庭の池の周りの生け垣を刈り込み。

月曜日に初めて現場でトリマーを使わせてもらった。学校でも何度か使ったことがある。トリマーは割と扱いやすい道具で、チェーンソーのような形をしている手持ちの機械だ。ぎざぎざの刃がバリカンのように互い違いに行き来することで刈り込みをしてくれる。学校ではよくトリマーを使うのがうまいと褒められていた。しかし現場で使うとなるとまたちょっと違って、背の高い木の側面を刈ったり、脚立の上に立って天端を刈ったりと、まっすぐにしたり形を整えるのが難しい。親方に「そのへんの構造物を見ると、意外と直線のものがたくさんある。家の外壁のブロックとか、建物のラインを基準にすると良い」とアドバイスを受けるも、刈っている途中は見比べたりできないので、たまに脚立を降りてあたりを見回す。そこであそこが高いな、というところを刈っていくと、刈りすぎたのか他と高さが合わなくて、じゃああっちを低くして……としていると、どんどん生け垣がなくなってしまう!親方!!生け垣がなくなっちゃいます!!ハア?なんかうまくやっとけ!!もう戻れません!!!また生えんだろ!!!

とはいえいくつかポイントを押さえればトリマーを上手に使うのは難しくない。まず一度に刈る範囲をなるべく広くすること。細かく動かしているとガタガタになる。腰を起点にしたり肩を起点にしたり、とにかく平行に、広く機械を動かすことができれば真っすぐにはできる。刈りまくるうちにトリマー自体は慣れていくが、問題は脚立のかけ方かもしれないと最近思った。脚立と木、どの距離や位置にすれば作業がしやすいのかが全然わからず、脚立を立てるたびに「木が遠いぜ」「近すぎるぜ!」「低かったぜ」「ガタつくぜ」「おい!こっちに置いた方が効率的だっただろ!」みたいな感想を抱く。親方に相談したら「こればっかりは経験値で、まあ試行錯誤してるだけで今は十分えらいよ」と優しかった。親方は理不尽なことを言わない。

私が丸く刈ったツバキ

お寺の中庭には池があって、その周りを植物が取り囲んでいる。ツツジやカナメモチ、ヒサカキなんかがたくさん生えているので、先輩と一緒に刈り込んでいく。池の中を鯉と亀が泳いでいた。亀があまりにも真っ直ぐにこちらを見つめて水中を進んでくるので、こんにちは~と挨拶。返事したらどうすんだと親方。親方は松の青芽摘みと椿の剪定をササッと済ませてどこかへ行ってしまった。バリバリと刈り込みを進める。池の中に葉っぱが落ちていく。岩の隙間に葉っぱが入り込む。刈り込みは葉が細かく刻まれるから掃除が大変なんだ。

半分以上作業が済んだところでお昼休み。最近は現場に折りたたみのキャンプチェアを持ち込んで日陰で休んでいる。これがものすごく気持ちがいい。道路脇、公園の日陰、駐車場など、好きにイスを置いて座るのは愉快な気分だ。イスでお弁当を食べて、コーヒーを飲んで一服して、昼寝してまた午後から働く。

刈り込み作業が完了したのでまとめてお掃除。熊手でざっくり葉を集めたあとにブロワーで細かい葉を集め、竹箒できれいにしていく。私は最近掃除が好きだ。新人にも一人でできる数少ない作業で、最初はつまんないな~と感じていたけれど、掃除はある意味最後の仕上げで、そこを任せてもらえるのは光栄だと考え直した。きれいに葉っぱを掃除して、土もある程度均して、道具でどうにかできないところは手でゴミを拾ったり、ついでに除草もしてやるととてもきれいになる。お客さんは大概、細かく木をどうしてほしいというわけではなく、とにかくきれいにしてほしいと思っている。

最後は池に落ちた葉っぱの掃除をして、これが超楽しかった。先輩と手分けして池の両端の岩場に足をかけ、水面の葉を大きな網ですくっていく。熱中。何がこんなに面白いんだろうか……。水面から何かをすくう遊びはお祭りでも定番で、金魚以外にも宝石やスーパーボールにも派生していっているから、なにか原始的な喜びがあるのかもしれない。

私が刈ったツツジ

池の掃除が終わって中庭から引き上げるも親方がどこいいるのかわからなかったので、境内で先輩とおしゃべりをしながら草むしり。親方はどこに行ったんですかね?いないねえ。帰っちゃったんですかね?いいなあ。てか雑草ってどれ?私は気分で決めてます。それいいね。

この間も時間が余って除草作業をしていたら、寺の息子とその妹がやってきて「植木やさーん!!!頑張って~~~~!!!」と応援してくれた。5才と3才ぐらいだろうか。とにかく人見知りをせず職人全員に話しかけている。私のそばにもやってきて一緒にいてくれた。「ぼくも草むしりできるよ!」「すごいじゃん」「根っこからむしれるよ!」「さすがだね~」「これって抜ける?」とイワヒバを指差している。なんとなく抜いちゃダメそうだったので「結構しっかり生えてるから抜けないかもね~」と言ったら「ぼくできるよ!!!」とブチッとむしってそのへんにぶん投げていたので笑ってしまった。まあお寺の子だし、いいだろう。楽しかったみたいでしばらく除草をしながらおしゃべりしたり遊んだりしていたが、住職が迎えに来たので帰ることに。「じゃあ、またね」と声をかけたら言い方が気に入ったのか「じゃあ、またね!」と真似して走り去っていった。

親方がどこからかブラブラと帰ってきたので撤収。今日も暑かった。

公園で芝刈り、バロネス

2026/05/08

うちの会社は現場の職人が6人で、内4人が女性だ。これは業界内でもかなり珍しいことらしく、出先で会う他の会社の人によく驚かれる。そして私は会社の中で最年少で、もう30歳なのに相当な若者扱いを受けている。すぐに「このときって生まれてる?」と聞かれる。立派な中年だという自覚を持って生きていたので新鮮な気分だ。

今日は親方と二人で公園へ芝刈りに行く日。うちの会社では6人の作業員を2つの現場に分けて動くことが多い。どこへ行くかはその日の朝礼で初めてわかる。社長がホワイトボードの名前付き磁石を適当に動かしながら決める。社長はなぜか私が親方のお気に入りだと思っているよう。今朝もニヤニヤしながら「禁断のペア……」みたいなことを呟いてしょうもないことを言い始めそうだったので、「じい孫ペアですね」と親方を犠牲にすることによって社長を封じ込めた。しょうもないことは言われるよりも言うほうがよい。みんなも笑ってらあ。

公園は住宅街に囲まれたそこそこの広さの場所で、二人で手分けして作業をする。親方は肩にかけて使うタイプの芝刈り機、私は台車のように押して使う四輪の芝刈り機でやっていく。この押し型の芝刈り機は最近使い方を教えてもらった。多分機種名でバロネスと呼ばれている。使い方は単純で、持ち手の部分に刃を回すレバーと、車輪を回して前進するレバーがついているのを両方握るだけ。そうすると前進しながら刃が回るので、草が刈れる。

まあ、単純なんだが、まだ慣れない。前進しかできないし、機体が重いので方向転換も一苦労だ。真っ直ぐに歩いてるつもりでもなんとなく斜めっていて刈り残しがあったりする。なんか思ったより前進する速度が速くて、待ってください!!と追いかけてしまった。でもゆっくりはゆっくりでなぜか疲れる。あと草の丈が高いとエンジンが負けて停まったりする。草むらに落ちてる梅を食べさせてしまったら、種を砕くものすごい音が鳴り響いて怖かった。バロネス!

とはいえ一個ずつコツを掴んでいくもので、前進しかできないというより前進するレバーを離して刃のレバーを回せば後進しながら刈ることも可能だし、機体が重くても後輪に体重をかけて前輪を浮かせれば案外簡単にターンができる。まっすぐに歩くのが難しいのは足元を見ているからで、歩くたびに目印を見つけてそれを見ながら歩けばそこまで斜めったりはしない。草丈が高いときは最初にバロネス本体の高さ調整をして高刈りし、もう一度低くして刈っていけばきれいな仕上がりかつ停まったりしない。話の通じる機械で助かるよ、バロネス!

木陰で休むバロネス

エンジン駆動の機械はとにかく機嫌を取るのが難しい。バロネスはかなりわかりやすい。一方でチェーンソーは話が通じない。まずどうやってもエンジンがかからなかったり、刃の回転調整が難しかったり(速く回し過ぎるとよく切れない)、何より刃物過ぎて怖い。マキタの電動工具が大人気なのも頷ける。電気はスイッチを入れればすぐに使える!これはすごいことだ。チェーンソーのエンジンが全然かけれられない時、イライラしますと親方に言ったら、「だからよくエンジン駆動の機械は現場でぶん投げられたりしてる」とのことで、不憫である。

バロネスを押してゆっくり公園内を回っていく。公園で作業をしているとしょっちゅう保育園のこどもが遊びに来たり、お年寄りが散歩をしにやってくる。公園っていい場所だ。子どもたちは芝刈り機を見て喜んでいた。子どもは本当に機械や重機が好き。一番人気は高所作業車。高く生えていた雑草を刈ったら、すぐさま子どもたちがそこで遊んでいて嬉しかった。

昼休みは公園のベンチでお弁当。米を頬張っていたらなにか生き物の足音がしたので、あたりを見回したらたくさん鳥が来ていた。芝刈りの後は必ずたくさん鳥たちが来る。ご飯を食べに来ているようだ。刈っている途中からじっとこちらを見ていた。土木工事の現場にはよくモズが来るらしい。モズ監督。

午後は細かい刈り残しをきれいにしてから掃除。熊手で芝生を梳かして刈った草を集めていく。この作業は犬や猫のブラッシングと似ていてちょっと楽しい気持ちになる。公園はでっかい生き物で、私はそれをお世話している。思ったより早めに終わったので次の現場に行って下見をし、軽めに作業をして今日はおしまい。

出動する、おばけを見たことはない

2026/05/01

お寺の剪定最終日。今日は雨。寺に併設されているお墓の中にある4本の椿を手入れしたらおしまいなので、雨脚の弱まった10時頃に現場へ向かう。

お寺に到着したらまず駐車場を解放することになっている。駐車場が見えて来たタイミングで軍手をはめてシートベルトを外し、トラックから飛び降りる。私はこの一連の流れが出動!という感じがして好きだ。業者が停めるところと檀家さんが停めるためのスペースがあって、地面から突き出している鉄製のポールの間のチェーンを外す。ポールの中にチェーンが収納できる。じゃらじゃらと音を立てながら暗い穴の中へとチェーンが吸い込まれていく。いつも二度と取れなくなるんじゃないかと不安になるが、ちゃんとチェーンの先端の部分が引っかかって止まるようになっている。ポールを少し浮かせて回すと地面に収納できるようになっているので、何本か下げていって檀家さんや参拝客用のスペースを空けていく。このポールは壊すと高いらしいんだが、いつも全然上手に取り扱えず、「高額」という字が頭をかすめる。

駐車後荷物を降ろしていく。これもなんてことないんだが、私ははしごを持って歩くのが好き。四脚を肩にかけるのも、三脚の鋭角な先端を前に向けて横たえた状態で持っていくのもなんとなく面白くて好きなんだ。あとイケてる気もする。フランスパンを持って歩く人と同じぐらいかっこいいと思う。

墓場についたら、参拝客用に水の入った桶を用意する。剪定以外にも一部お寺の業務もお手伝いしている。桶に水を注いで柄杓とセットにして置いておく。準備中に親方からどの椿を選定するのか見に行くと言われたのでついていく。うっかり柄杓を持ったままついて行ってしまう。「どういうボケだよ」「後ろからそれで殴るんじゃねえぞ」と親方。柄杓にはそういう使い方もありますね。

4本中2本の椿は誰かのお墓のすぐ横にあって、かなり気を遣って剪定。「失礼します!」と元気よく声をかけてから作業。罰当たりな行為を愛嬌でごまかそうという魂胆さ。

墓場の椿は境内の椿ほどきちんと手入れがされていないようで、太くゴワゴワした枝が多い。何も指示されていないので、硬く太くなってしまった枝を抜いていき、若い枝に更新することにした。私は清廉な様子の木が好きです。何より太い枝がたくさんあって木の中のほうが混んでいると虫が湧きやすい。枝を払っていると早速葉の裏にナメクジがいた。学校に通い始めて土木や造園作業を始めた頃から、なんとなく虫に対する抵抗が前より減った気がする。なんか軍手越しだと案外平気なんだよな。親近感すら感じる。小さい生き物たちよ。作業中もなるべく殺したくないので逃がしている。会社の近くにはよくカメムシが出るんだが、この虫を救うのはなかなか難しい。なんだか脚が弱いのだ!移動させようとしてもすぐにひっくり返る。

作業をしていたら親方がぶらぶらやってきたのでおしゃべり。親方はおしゃべりなんだ。ナメクジって害虫ですか?と聞くとうーん……まあ必要な存在だとは思うんだけど、嫌われてはいるね。とのこと。親方も多分虫に少しの親近感を感じているのだろう。

昼休みには車の中でお昼ご飯。親方と「おばけを見たことがあるか?」という話で盛り上がる。私は直接見たことがないし、夢かもしれないんだけど、一人暮らしをしているときに夜部屋で寝ていたら、耳元で何かをボソボソ言う声が聞こえたことがある。それがあまりにもうるさいし何をいっているのかわからなかったので、「うるさいなあ!喋るならちゃんと喋って!!」とブチギレたところ声が止んだという経験がある。親方はよく背後霊がいますねと言われるらしい。もう一人後からやってきた先輩に聞いてみると「見たことないんですよ!見たいんですよ~!!」とかなり明るく言っていたので笑ってしまう。そういう人のところにおばけってこなさそう。

作業がだいたい終わった15時頃に雨が止む。いつも終わった頃に止むんだよな。落ちた葉の掃除をして道具を片付ける。雨上がりに境内の蓮の葉の上にとどまった水滴がきれいだった。たまにこういうご褒美がある。