2023年2月
毎日散歩をしていると季節の移ろいを感じることがよくあり、最近は大きく膨らんだ蕾や梅や桃の花、またその蜜をなめに来ているヒヨドリなどを見ることができて、嬉しい。
この間植木鉢がたくさん無造作に置かれている床屋の前を通りかかって、盆栽の木瓜の花が咲いているのを見た。その鉢植えだけ少し離れた大きな道路に面したところで踏み台のようなものの上に置かれており、花が咲いた鉢植えを誰かが大切に思っていること、人にも見てほしいということになんとなく心打たれた。しばらく立って見ていたが、一緒にいた犬が早く先に行きたそうにしていたので退散。もっと見ていたかった。
きっとこれからあっという間に暖かくなっていろいろな花がまた見られるようになるのだろう。以下、2月の日記です。
今年の目標
もう2月ですが……。昨年も2月に今年の目標を書いていた。変わらない人間。来年はせめて1月に書こう。
去年「今年の抱負」をブログに書いておいたら振り返りができて良かったので、今年も書いておく。
大テーマ
今年の大きなテーマは「善く生きる」ということにします。
去年からちらちらプラトンの本を読んでるんだけど、その中で垣間見えるソクラテスの「善く生きる」という考えが自分の中に徐々にフィットしてきて(大事かも)という気持ちが大きくなってきた。
とはいえ正直この考え方をしっかり理解しているかというと全くそんなことはなく、これを学んでいくためにも今年のテーマにしようという面がある。
今のところの大まかな理解では、肉体や表面的な美しさ、物質的な富、地位などを気にかけるよりも魂の状態を気にかけて、それがより良くなるようにしていきましょうということっぽい。だからといって肉体をおろそかにして病気になってしまっては魂を気遣うための思考活動に支障を来すし、経済的に困窮すると心理的な余裕を失ってしまうので、自分の精神状態を最優先するために適切な物質的な選択をしていくべきということなのかなあと考えております。
今は光文社古典新訳文庫の『ソクラテスの弁明』を読んでいるんだけど、半分以上が解説なのでとてもわかりやすい。非常におすすめです。次は同シリーズで『パイドン』を読もうと思う。読んで、考えて、濾過して自分のものにする。
小テーマ
魂の健全性を保つために決めた目標は以下のとおりです。20個ある。去年書いた目標を振り返ってみたら半分ぐらい達成できていたので、今年はもっと欲張るぞ!
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爪をきれいに保つ
- 小さい頃に爪を噛む癖があった。癖自体は直ったけどなんとなくずーっと自分の爪の形が悪い気がして気になっていたので、今年こそ保湿したりネイルハードナーを使ったりして納得の行く形にしたい。
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サワードウをつくる
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パンを焼くぜ!なぜなら、パンが大好きだからです。
- 去年からぬか漬けを自宅でするようになったんだけど、ああいう面倒を見る必要性があって少しずつ変化していくものって好きだなあ……というしみじみとした実感があった。酵母もそういったものな気がするのでチャレンジしてみたい。
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本を読んで記録する。人に感想を伝える。
- 去年は結構本を読んだのに、どれを読んだのかとかどういうところが心に残ったとかがおぼろげな記憶になっていてもったいないな……と思ったので。
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水泳教室に通う
- これは去年も目標にしたけど、できなかった……。
- ずっと泳げる人のことを羨ましいな~と思っていたけど、自分もできればいいんじゃんと気づいたので、熱望。
- 友達と海で泳いだり、ホテルのプールでぬるく漂ったりしたいよ。
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整体で姿勢を矯正する
- デスクワーク続きで著しく体が歪んだり凝ったりしている実感がある。
- パーソナルトレーニングが習慣化したので、合わせて体のバランスを整えていきたい。快適だから。
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セーターを編む
- 去年から編み物をはじめて小物を少しずつ作れるようになった!今年は実際に着られるようなセーターを自分に編んだり、彼氏や友達に編んだりしたい。
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リジッドデニムを買う
- パーソナルに通い続けた結果下半身がかっこよくなってきたので、かっこいいデニムを買いたい。
- リーバイス701のリジッドがほしいんだ~。
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キャッシュフローを健全にする
- 今月から家計簿をつけております。
- 反省しております。
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犬と出かける
- 少し遠くの公園とか、バッグに入って電車や車に乗る練習をして少しずつ遠出に慣れてもらう。色んなところを見せてあげるんだ~。
- 来年には一緒に旅行に行けることを目標にする。
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仕事を前倒しで済ませて有給を取る
- 魂の安寧のためにとても必要。
- 2ヶ月に1回ぐらいは有給を使いたい。
- 平日は良い休日のためにあり、良い休日は平日を輝かせる。
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住民税のうちふるさと納税と寄付を半々ぐらいに
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ガルシア・マルケスの全集を集めて全部読む
- ひとまず今手元にある百年の孤独を再読しよう。
- 敬愛しております。
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近所を愛する
- おしゃれな街に詳しいのもかっこいいけど、自分の住んでいる場所を愛してよく知っている人も同じくらいイケてる。
- 自分の住んでる地域でお気に入りの場所を増やす。
- 自転車を修理したので準備万端だぜ。
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英語を話す
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毎月やったこと無いことを1つはやる
- 去年やってみてすごく心が元気になった。やっているときも、何をしようかと考えている時間もきらめいていた。
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得意料理を見つける
- 毎日の料理、お客さんが来るときの料理、彼氏の大好物、自分の大好物で4品ぐらいかな?なにかこれが私の得意料理です!というものを見つけたい。
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お金をきっちりいただくためにきっちり働く
- 出来高制なので、最大限もらえるようにしっかり達成する。
- 金銭のことで悩む時間って本当に苦しい。実家で常に「うちにはお金がない」と言われていたのを思い出すと今でも厳しい気持ちになる。が、今は自分でお金を稼げる!嬉しい。できる範囲で頑張ろう。
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転職の可能性を考える
- 急に業界や職種を変えるのもいいかもな~と思うことが増えたので、情報収集をしてみる。信頼できるエージェントを見つけるのもいいかもしれない。
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なにか異変を感じたらすぐに病院へ行く
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新聞を2日に1回は目を通す
- 昨年「ネットニュースって私には速すぎる」と思って紙で新聞を取り始めたが、読む頻度にムラがある。
- 別に毎日読まなくてもいいなとは思っているけど、溜まると読まなくなるので、それなりの頻度でざっと目を通す習慣をつけたい。
私は今年も私らしく頑張りますわよ~。
2月のお出かけ
神奈川に住んでいる友だちと鎌倉へ行った。
私は祖父母が鎌倉に住んでいたので、それなりに思い出の場所がある。
その一つが銭洗弁天で、2月に何十年ぶりかに訪れた。祖母は信心深い人で、私をよく近所の寺社仏閣へと連れて行ってくれた。その中でも銭洗弁天は私のお気に入りで、何度も何度も行った。今思えば銭洗弁天にたどり着くまでの道は結構な坂なのでお年寄りには結構大変だったろう。小さい頃その山道を登っている途中で私が白い蛇を目撃したことがあって、後から祖母に伝えたら縁起が良いじゃないか!!と喜んでいた。さっき調べてびっくりしたんだけど、銭洗弁天の使いは白蛇らしく、マジでは……?
銭洗弁天の何が好きかというと、まず入り口がいい。山を登っていくと山肌に鳥居に縁取られたトンネルが現れて、そこを抜けた開けた場所に銭洗弁天がある。少し進むと滝があり、境内の坂道を登るとまた滝がある。一境内に二滝である。滝の近くに洞穴のようなところがあり、そこに引かれている水で銭を洗う。銭を洗うと何が起こるのか知らないままずっと銭を洗っていたのだが、倍になると言われているらしい。スゴ。たまにお札も洗っている人がいて(お札をビシャビシャにするの、やだな~)と思っていたけどあれは正解の行動だったんだね。クレジットカードでも洗おうかな~と思っていたけど、クレジットカードが増えても仕方がないので、これは不正解。
子供の頃は行くたびに売店でかき氷を買ってもらい、滝を見ながら食べていた。必ずメロン味を。昔は両方の滝に鯉がたくさんいたけれど、この間は一つの滝にしか鯉がおらず少し寂しかった。
下山したあと友達が稲荷神社が好きというので近くの佐助稲荷にも行った。佐助稲荷の写真を取り忘れてしまったが、ものすごい数の狐の陶器が置かれており圧巻だった。狐の石像もたくさんあり、一つずつ全然顔が違って面白かった。おすすめです。
その後鎌倉中央食品市場へ。時間帯によっては新鮮な野菜とかが手に入るらしいが、未だ手に入れたことはない。ここに入っているお店を見るのが好きで、小さいけどいろいろなものが売っていて楽しい。この日はナッツ入りのスモークチーズと、DAILYで巨大なクッキーを買って帰った。
このチーズが本当に美味しくて、おすすめです。私はあんまり香りが強いチーズが食べられなくて、ミルクの風味が強いものが好みなんだけど、スモークチーズはチーズ独特の香りがスモークの風味で消されているので大好き。最近朝ごはんにチーズを一口だけ食べるのにハマっている。楽しい気持ちになるので。
クッキーも本当に美味しかった……。特にピーナッツバターが入ったほうが思ったより甘すぎず気に入った。また買おう。
パン屋にも行った。ライ麦ハウスベーカリーというところ。
フィンランド出身の方がやっているところらしく、見たことのないパンが売っていたので購入。
このパンも本当に美味しかった。酸っぱくて硬い。最高!全部のパンにパンの名前が書いてあり、店主のお子さんの絵が載っている。良い……。このパンがいたく気に入ったのでサワードウを家でも焼きたくなったのであった。焼きたてのサワードウブレッドが家で食べられたら嬉しいだろう。自分を喜ばせたい。
2月の初めて
歌舞伎
生まれて初めて歌舞伎を見に行った。
2月23日の祝日に歌舞伎座で「霊験亀山鉾」を。友達が仁左衛門が好きで、仁左衛門はもうすぐ引退と噂されているらしい。初めて存じ上げましたが、お疲れ様でございます。
待ち合わせ場所に向かうべく銀座を歩いていたら祝日なので松屋の上で日本国旗が天気の良い空にはためいており、意外と嬉しい気持ちになった。
17時半から開始だったので、16時頃に友だちと待ち合わせをしてグリル木村家で早めの夕飯を食べた。通し営業でいつでもご飯が食べられるお店が大好き。
グリル木村家はご飯を頼むと自動的にパンが食べ放題になる。パンがたくさん入った大きなかごを持った店員さんが店内をぐるぐる回っており、どんどん持ってきてくれる。この日は午前中にジムへ行ってからまともにご飯を食べていなかったので、同行者が引くほど食べてしまった。オリーブ入りのパンとオレンジとレーズン入りのパンが美味しかった。バターも好きなだけ追加させてくれた。ありがたい。
同じ会社の人なので、今会社で起きているレイオフについて話したり、転職してもズッ友の誓いを立てたりした。破ってくれても構いません。私はお慕いしております。
歌舞伎座を初めて訪れたが、素敵な空間だった。
中に入ると床全面に赤いカーペットが引かれており、出入り口には色鮮やかな花の模様がある。これは平等院鳳凰堂で見たことがある宝相華ではないか?と思ったら本当にそうらしい。おれは修学旅行のレポートでこの模様のことを調べたので覚えているんだ。
歌舞伎はすごく面白かった。また見たい。
亀山鉾は敵討ちの話で、仁左衛門演じる水右衛門が敵討ちに来る石井家の人々をどんどん返り討ちにするも三度目で遂に倒されてしまうというあらすじ(本当に荒い)なんだけど、(悪人、最後までやられないでくれ~~!!)という気持ちが残った。
正直あらすじを読まないと何一つわからず、誰が何を行っているかも分からなかったと思うんだけど、作り込まれた舞台の空気、緩急がこちらを飽きさせない。花道から人が出てくると嬉しい。
特に水右衛門が棺桶を破って出てくる場面と町人が山鉾を掲げ囃し立てているのを背景に敵討ちが成功する場面が良かった。なんのことだかわからないですねこれだけでは。でもそういうシーンがあったんです。
水右衛門が亡くなるシーンではすごく大げさに手を振り回してもがきにもがいて死んでいくんだけど、それがこの世にすがりついているようでもあり、散り散りになりつつある自分の霊を賢明にかき集めているようでもあり、心に残った。
四月大歌舞伎の三部にまた仁左衛門が出て、しかも別の演者だが連獅子をやるらしいので是非見たい。また同じ友だちを誘っていこうと思う。
歯医者でマウスピースを作る
寝ている間に歯ぎしりをしているらしく、起きた瞬間アゴがだるいことが増えたので歯医者へ行ったところ、「歯ぎしり自体をなくすことは難しいが、就寝時に使うマウスピースを作ることでかなり軽減できる」とアドバイスをもらった。作りました。
ちょっと使ってみたけど、すごいぜ!!!!!しっかりダメージが軽減されている。これは早くも今年買ってよかったものの首位に躍り出ました。医者はすごいから行くべき。私は5000円ぐらいで作りましたが、病院によっては3000円ぐらいから作れるっぽい。
私は歯のトラブルが比較的少ない人生を送ってきたので今回始めて歯型を取ったんだけど、歯型取るの超面白くてまたやりたい。柔らかい粘土みたいなものを噛むだけなんだけど、また噛みたい。もう一個作れませんか?
ある日夜中にハッと目覚めた瞬間マウスピースが外れていて、暗闇で布団の中を透明な歯型を探すのが難しく、ウケた。
美味しかったもの
近所のお店のお稲荷さんを初めて買ってみたら美味しかった。
この店ではおにぎりと巻きずし、お稲荷さんが売られていてたまにお昼に買いに行く。全部このお店の味がして美味しい。お店のおばあさんがその場でものすごい手際の良さで包んでくれて、それを見るのも好き。
彼氏のお母さんが毎年くれるロイズのチョコレートも美味しかった。
器も全部チョコレートでできている。中の生チョコを食べたあと、器でホットチョコレートを作るのが好き。血糖値がありえないぐらい上がってかなり眠くなるので注意。
彼氏が最近セブンイレブン経由でクイニーアマンの存在に気づき、「本物が食べたい」(コンビニのパンはすべて偽物らしい)というので、歌舞伎を見に行った日に銀座シックスの地下にあるジャン・フランソワで他のパンと合わせて買った。
上品な甘さで美味しかったが、もっと俗っぽい甘さで全身にカラメルをまとったクイニーアマンを我々は欲している。情報あればお願いします。リトルマーメイドとかにある気がしている。
一緒に買ったレーズンサンドとクロワッサンがかなり美味しかった。
バタークリームと聞くと曖昧な味の生クリームの偽物(下に見すぎ)を思い浮かべてしまうが、このクリームは本当になめらかなバターに少し甘さが加えられていて、とても美味しかった。
クロワッサンが一番好みだったかも。生地の層が一枚一枚パリパリしていて、噛みしめると中のぎゅっとした食感にぶつかり、バターの香りがする。パリパリしすぎてどんどん崩壊していくので、(勝負!)と思いながら食べました。食べるのって、たのし~。
読んだ本
ネットに公開するか……?このしょうもないただの感想を……。と躊躇したけど、今年の目標の一つでもあるので書き残します。
『読書について』小林秀雄
読書法に関する本は今までに何冊か読んだことがあるけど、これが一番面白く実践に結びついた。
同タイトルのショーペンハウアーの本がある。その本では「乱読をするな」「何回も同じ本を読め」「正しい文法で書け」みたいなことが冒頭で述べられていて、正直あんまり同意できず早々に読むのをやめてしまった。
小林秀雄の『読書について』では一番最初の章でそれとは真逆のことを言っていた。
乱読の害ということが言われるが、こんな日本の出る世の中で、濫読しないのは低能児であろう。濫読による浅薄な知識の体積というものは、濫読したいという向こう見ずな欲望に燃えている限り、人に害を与えるような力はない。濫読欲も失ってしまった人が、濫読の害など云々するのもおかしなことだ。
読書の最初の技術は、どれこれの別なく貪るように読むことで養われるほかはないからである。
この文章でいいなと思ってどんどん読み進められたんだけど、結局自分は自分と意見の合うものしか受け入れられないということなのかも……とちょっと落ち込んだ。
その一方で一人の作家の本を全部読めというすすめもあり、この文章がかなりかっこいい。
小暗いところで、顔は定かにわからぬが、手はしっかりと握ったという具合な解り方をして了うと、その作家の傑作とか失敗作とかいうような区別も、別段大した意味を持たなくなる、と言うより、ほんの片言隻句にも、その作家の人間全部が感じられるという様になる。
これが、「文は人なり」という言葉の真意だ。それは、文は眼の前にあり、人は奥の方にいる、という意味だ。
私は、つまりもう既に亡くなっているガルシア・マルケスともウンベルト・エーコとも握手をできうるということで、泣けてくる。
また、普通の人は批評家みたいに何がいい、悪いと言わなくてはいけない仕事をしているわけではないので、どんどん感想を話し合ったりしなさいと言っているのにも勇気づけられた。今年の目標にしたように、本を読んだことを人に話そう。
この本の中で一番すぐに実践できたのは、自分の中身を空にして小説に身を委ねつつも、自分自身を覚めた状態にしておいて自分を見失なわないようにすること。そうすることでただ没頭するのではなく、自分に対して「この本は何を言っているのか」という問いを立てて、その相互のやり取りが良い読書体験を生むということ。
模試で出てくるような小難しい文章は一切出てこず、とても面白かった。また読み返すと思う。
『侍女の物語』マーガレット・アトウッド
今更ながら読みました。有名な作品はやっぱり面白い。
私はフェミニストを自称しているものの、フェミニストに評判がいい作品を読むときってたまに「押し付けがましい寓話だな」と思うことがある。これは世界観の設定が良いのかそういった嫌さがなかった。贅沢を言っているわけではないのに贅沢と言われてしまう切実さにあふれていた。
ただ主人公がこのようなディストピア世界を作った男性に「以前の世界に比べて失ったものはなにか」と聞かれたときに「恋愛」と答えたのが少し覚めてしまった。
「恋愛をしない人はおかしいと思われて宇宙人のような扱いを受ける」と言っていて、まあ事実そう思われてしまう世界なんだけど、私はやっぱり恋愛を過剰評価している物語に対してやや嫌悪感を持ってしまう。
ただしこの世界で生きているこの主人公がそう思っているだけなので、激しく批判をする気持ちにはならなかったし、納得感があったのでこの作品の良さを失うことにはなっていない。結局この主人公も恋愛を通して最後救われたわけだから。
読後感がすごく爽快じゃないところも好きなポイントで、結局主人公はおそらく助かったんだろうけれどぼやかされている。(そもそも助かっていない限りはこの物語は残らないはずではある)
この主人公が生きていた国が滅亡しそれを後の時代の人々が論じるという形で講演をしている様子が短くまとめられて終えるんだけど、まず「当人は大変な思いをして生きていたのにあとの時代のやつがあーだこうだいいやがって……」という気持ち(自分も含めて誰も当事者ではないのだが、と言うか歴史を論じるときはみんなそうだ)と、講演をしている教授が軽く女性のことを詰ったりするのがすごく嫌でまだ女性軽視は残っているのかよ……。とややうんざりした。まあこれがギレアデを生んだのだから当たり前か。
全てが統制されていて淡々とした世界なので、今の社会を生きていたらほんの小さなことがすごくすごく大きなことに感じて目が話せなかった。この主人公が熱望しているのは私達が今生きている世界なんだと思うと自分と小説とのつながりを感じる。
『デクリネゾン』金原ひとみ
現代日本の小説ってあんまり読んだことなかったからすごく新鮮だった。
だいたい翻訳小説か少し古い時代のものばかり読んでいたので、背景を共有しているとこんなに内容がよく分かるのかと不思議な感じ。これだけ近い時代だと自然とメタ構造を持つ様になっていて、主人公が小説家だからなおさらそう感じる。
この世界にはコロナもある。し、主人公とその作家仲間が「小説にコロナがあるものとして描く?」と議論している場面があって(この小説は作者がコロナありと決めて書いた小説なんだ)とわかるのが面白い。
こんなにわかるなと思う小説というのは時代背景を共有しているからというだけでなくて、主人公の主観を通して色んな人の様子がしっかり描写されている巧みさから来ているのかもしれない。
登場人物の中に自分の身の回りの人が入れ代わり立ち代わり顔をだすみたいに(これはあの人みたいだな)と思えて、同時に(これは自分だ)(これは未来の自分だ)とも思った。
その一方で人の見た目に関する描写がほぼ出てこないのも好感が持てた。顔の造形とかがほとんど描写されない。
人は人と出会うたびにワクチンみたいにそういう人に対する抗体を得ているのかもという考え方が作中に述べられており、好きだった。誰かと出会うたびにその人の存在が自分の中に染み入って、その人に似ている人に会ったら(あ、こうすればいいんだ)ってわかったり、なにか考え事をしているときとかにその人の考え方が何処かから出てきたり、そう感じることって確かにあるし、自分が大事にしていることだなと思う。
私は高校生の頃に出会った谷川俊太郎の『あなたはそこに』の「ほんとうに出会った者に別れはこない」という一節に理由もわからず惹かれ続けていた(表面上は希望としてこれを言葉のまま信じて別れの悲しさを紛らわしていた)んだけど、この言葉の良さは出会った人間のかけらは私のそばに常にあり、常に相互関係を及ぼしていて、それが毒になるときも薬になるときもあるけどその人の存在はかけがえのないものであること、私にとってはそれが人を愛するということの意味の一つだと信じているということなんだろうなと思う。
違和感を感じたとしたら登場人物が長く喋り過ぎというところかも。まあそれは小説だからいちいち人の相槌とかを入れていたら勢いがなくなってしまうんだけど、それでも一つのカギカッコでそんなに話す?そんな話し方を実際にする?少し芝居がかってない?と雑念が入り込んでしまった。
それも含めて作風だからいい。
この本を読んだ感想に「主人公が母親なのに性愛にうつつを抜かし過ぎで気持ち悪い」みたいなことを言っている人がいて、それは本を読んでいる途中で目にした感想だったから憤ってしまったんだけど、物語の後半に作家である主人公のインタビュー記事にそういう感想を寄せる人がいる描写があり、織り込み済みなんかい!流石よ……としびれてしまった。俯瞰力が高い。金原ひとみは主人公と似ているのかもしれない。
主人公もそういう人たちに対して最初は憤っていたけど「言葉というものがその人物自信というよりもその人から少し浮遊した状態のところから発せられること、言葉をそのまま言葉通りに受け取ることができないということを知っている」 からそういうやつは永遠に意味不明なことやってろって思えるんだって。痛快だね。
本当に様々なトピックを扱った本だった。家族、生活、老い、恋愛、友情、コロナによって変化した最近の社会環境、等々。
デクリネゾンとは一つの食材を様々な食べ方で味わい尽くす調理法(例えば豚肉を部位ごとにソーセージ、豚足、ステーキ、カスレ……みたいに食べ尽くす、いわゆる「豚づくし」で、表紙にもその絵が描かれている)らしいんだけど、なぜこのタイトルなのかな?何を味わい尽くしているんだろう。
恐らくだけど、この主人公は夫や娘と関係性を変えながらずっと付き合っているからそのことを指しているのかな。恋人、夫、元夫で娘の父親、娘は幼い頃、実父と主人公3人で暮らしていた頃、二人で暮らしていた頃、別居して実父と暮らしている状況ということかな。
もしくは自身も色々な側面を持っているということかも。作家、母、恋人、妻、元妻であり、誰かの友人でもあるということなのかも。人というのはそれぞれ多様な面を持っていてそれを味わい尽くしているということかも。文章にすると急に俗っぽくなってしまって恥ずかしい。
『ロング・グッドバイ』ジェフリー・ディーヴァー著/村上春樹訳
昔読んだような読んでないような曖昧な状態で読み始めたけど、多分ちょっと読んでやめたんだと思う。
読み始めてからそういえば村上春樹の長い文章をまともに読んだことがなかったなと思い当たる。私はネットミームを通してしか村上春樹を知らない。
隅々まで主人公のフィリップ・マーロウが見つめた世界が敷き詰められており、かなりかっこいい小説だった。特に風景描写がしっかり情景が浮かんですごく没入感がある。パーティーをやっている部屋から一歩出たときの驚くような静けさとか、夏の日ざしが廊下に差し込む窓の横でエアコンが音を立てている様子とか、細かい描写が強烈に映像を呼び起こしてくる。
私が特に好きだった描写は以下の2つです。
バラ色の頭の雀たちがひょいひょいとはねながら何かを、雀にしか価値を見いだせない何かをつついている。
空っぽのプールくらいいかにも空っぽに見えるものはない。
フィリップ・マーロウが女を品定めする様子がめちゃ蔑視的でウケちゃった。昔の作品だからな~という感じで意外とイライラせず、(めっちゃ女を下に見てるやないかい!😂)と思う程度に感じられて楽しめた。作品が面白い、好き、ということと批判する、嫌いな部分があるというのは両立するね。
その蔑視的だな~と思った描写を巻末の解説で村上春樹が好きだと言っており、それは話が違うだろと真顔に。
最近体が花粉を感じ始めており、「目に見えないけど感じるという体験って意外と無いよな」と思いながら過ごしている。今月は家にいる月にしようかなと思い、さっきパン作りの本を買った。編みかけのバッグも編みきりたいし、読みかけの本もあるし、幸福だ。仕事はやりきった方がいいが、それ以外のことはやりかけでもよい。
医者に頼り、娯楽に頼り、友人に頼って、今月も楽しく過ごします。みなさんもご健康で。では。